大西会計事務所

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今週の考える言葉「ミーティング」

考える言葉

ミーティング

 
   C.バーナード(1886~1961年)は、「組織とは協働行為の体系である」と定義付けし、その成立の3条件として、① 目的の共有、② 貢献意欲、③ コミュニケーションを掲げた。
 
   この考え方は、組織をマネジメントする立場にいる人間だけでなく、組織人として生きている現代人のすべてが、しっかりと学んでおくべき原理原則の一つではないかと考える。
 
   今、日本の企業(=組織)の生産性の低さが問題となっている。この問題に触れる度に、P・ドラッカーの次の言葉を思い出す。
 
   「人間関係の能力をもつことによって、良い人間関係がもてるわけではない。自らの仕事や他との関係において、貢献を重視することによって、よい人間関係がもてる。こうして人間関係が生産的となる。生産的であることが、よい人間関係の唯一の定義である」(『経営者の条件』)。つまり、生産的でないということは、人間関係においても問題が生じているのではないかと・・・。
 
   さて、社内でのコミュニケーションを円滑にする手段として”ミーティング”がある。”ミーティング”に関しては、一長一短の様々な意見があるようだが、その存在の当否を争うのではなく、いかにあるべきかという内容の問題を議論すべきである。
 
   “ミーティング”を行う目的とは何か?基本的に2種類の”ミーティング”がある。
 
   ひとつは、「進捗管理のための”ミーティング”」である。各部署や個人が掲げた組織への貢献目標がどの程度進んでいるかを確認するためのもので、定期的に行われる必要がある。
 
   マネジャーはその状況に応じて、適切な指導や情報の提供を具体的に行い、フォローをしなければならない。IGグループでは、IG式目標管理の手段として、朝礼、週末の部門会議、月末の全体会議などを定期化し、実施している。
 
   もうひとつは、「目的共有のためのミーティング」である。協働行為の体系である組織の存在そのものに関わるような内容について、組織全体で共有すべきときに、随時開催されるものである。
 
   かつて、京セラの稲盛和夫氏は、コンペと称して酒を酌み交わしながら、自らの経営哲学を語り、京セラで働くことの意味と価値を熱く語ったそうであるが、それも「目的共有のためのミーティング」の機会だったのだと思う。
 
   確かに、”ミーティング”は多くの人の時間を拘束する。しかし、コミュニケーションの大事な時間であり、手法である。つねに運営の在り方を創意工夫すべきであろう。
 

今週の考える言葉「視点」

考える言葉

視点

   “視点”とは、物事を見たり、考えたりするときの目のつけどころや観点をいう(類語大辞典)。
 
   よく、「”視点”を変えて考える」とか「相手の”視点”に立つ」などという使い方をすることがあるが、仕事に限らず、人生においても、極めて重要なことだと心得ている。”視点”という言葉には、次の二つの意味で用いられているようだ。
 
   ① どこを見ているかという、注視点のこと。
 
   ② どこから見ているのかという、立脚点のこと。
 
   いつの時代においてもなくならない「嫁姑問題」を例に少し考えてみよう。
 
   昔の嫁姑問題は、嫁いできた嫁が夫の両親のところで同居して、姑から嫁の分際を弁えていないと”視点”(=立脚点)から、自分の嫁いできた時の苦労話を聞かせながら、「苦労が足りない!」と虐められるケースだ。
 
   今の嫁姑問題は、同居していないのに、息子可愛さに、嫁の妻としての至らなさの視点(=注視点)から始まり、嫁の両親の悪口まで言い出すという。息子(嫁の夫)に聞くと不自由を感じていないはずなのに、ホントは嫁の態度が気に入らないのだ。離婚騒動にまで発展するというから恐ろしい・・・。
 
   結婚というのは、元来、育った環境(土壌)が違う二人が出逢い、結ばれて、新しい家庭を築く営みだから、お互いの価値観を共有し合い、統合されていくのに時間がかかるのが当たり前・・・。
 
   お互いが、相手の立場に立って、相手の尊敬できるところに”視点”を置くことを心掛けなければ、いい関係性ができるはずがないと思う。それこそ、”視点”を間違えないようにしないといけない。
 
   さて、仕事においても、”視点”の置き方は成果に大きな影響を及ぼす大切なテーマである。
 
   一生懸命に仕事に精を出しながらも、大きな成果を挙げる人とそうでない人がいる。
 
   その原因の多くは、”視点”にあると考える。
 
   ① 自分の仕事に対する努力の方向性は、協力し合う相手の”視点”と合っているのだろうか。
 
   ② その仕事の目的という”視点”から思考し、行動しているのであろうか。
 
   ③ つねに、全体と部分との関係性という”視点”から見直し、独りよがりにならないように配慮しているだろうか。
 
   そして、現在と未来とのバランス思考の”視点”も心得たいと考える。
 

今週の考える言葉「伝統」

考える言葉

伝統

   “伝統”って何だろう?
 
   日本の“伝統”的な国技の一つである大相撲・・・。貴乃花問題や人命よりも「女人禁制」という“伝統”的なシキタリを最優先する場内アナウンスなどで、何かと物議を醸し出しているが、改めて“伝統”とは何かを考えてみたい。
 
   小生が高校時代に過ごした学校は、藩校の流れをくむ学校として知られ、歴史と“伝統”が色濃く残っていた・・・。「“伝統”に恥じないように!」「“伝統”を汚すような行為をするな!」など、“伝統”を口にすれば、問題はすべて解決できるような雰囲気があったくらいである。
 
   では、その当時に口にしていた「“伝統”って何か?」と問われると、確かに感じてはいたものの、それが何かというと言葉にできない。ただ、折にふれて、伝統に恥じないように思考し、行動していたような気がするのだが・・・。その証拠に、校訓であった三綱領は今でも覚えている。
 
   「正倫理、明大義。重廉恥、振元気。磨知識、進文明」
 
   伝統的な形としてのバンカラ風な生き方は、懐かしくはあるが、今はこだわりとしてはない。でも何となく自分の一部のような気がする。
 
   改めて問う、“伝統”とは何か?
 
   それは「土壌」ではないだろうか。自分自身の心を高め、魂を磨くのを培ってくれる「土壌」のような気がする。“伝統”という土壌からしっかりと養分を吸収して、価値観が形成され、その価値観にもとづいて思考し、行動する。そして、いろいろな出逢いを経験し、その時々の花を咲かせているのだろう。
 
   その花はいずれ散り、朽ちて、新たな土壌の養分となる。そして、土壌は明らかに改良され、質を変えているのである。つまり、“伝統”も同じで、進化し続けることによって、いつもでも継承されていくのだろう。
 
   以前に読んだ本の内容を思い出した・・・。柳生新陰流は、なぜ時代を超えて継承されているのだろうか?それは千変万化の剣さばきにあるという。「人を活かす剣」という崇高な思想のもと、変化し続ける剣だからこそ、時代を超越するのだという。
 
   “伝統”という土壌の本質は、基本的には変わらないと思うが、その養分を吸収して成長する価値観は、その時々の状況において色々な花を咲かせては散り、成長を重ねていくのではないだろうか。
 
   何事においても、つねに本質を見失わず、臨機応変に対応して、仕事をしていけるように精進を重ねたいと、改めて思う。
 

今週の考える言葉「ドバイ国際会議」

考える言葉

ドバイ国際会議

   世界で今、最も注目を集めている国の一つに“ドバイ”がある。
 
   さすが狙いどころがいい!毎年この時期に開催されるM&A国際会議(日本M&A協会主催)であるが、その舞台は“ドバイ”であった(3 月16~21 日)。海外での会議に500 名を超える参加者を集めるのだから、M&Aセンターの勢いそのものである。
 
   「“ドバイ”って、どんな国?一度いってみたいと思うのだが・・・」 一言で表現するのは難しいが、とにかく、エキサイティングな国だと思う。やる以上はなんでも、世界一を目指そうという国家的な戦略、その気概がそう感じさせるのであろう。
 
   ほんの半世紀前までは、ほとんど砂漠に覆われたただの漁港にすぎなかった“ドバイ”が、なぜ歴史に残るような観光都市に生まれ変わったのか?油田の発掘が、その一要因だというが、それは単なるきっかけに過ぎないと思う。
 
   最大の要因の一番目は、その当時のトップリーダーであったラシード首長の先見力と構想力そして実行力にあったと考える。
 
   いずれ石油資源は枯渇することを予見し、それらに頼らず、貿易による国造りという明確なビジョンを掲げ、そのために必要なインフラの整備(港、道路、病院、学校など)を最優先して実行したのである。まさに、100 年の大計である。
 
   二番目の要因は、人材の育成であろう。志を承継した子息たちのさらにパワーアップしたリーダーシップが素晴らしい。
 
   世界一の超高層ビル(828m、206 階建て)、宇宙空間からも見えるという人口島の造成、道路の建設、七つ星といわれる超豪華ホテル、ショッピングモール。それから世界一であろう空港の広さ・・・。砂漠なのに、ゴルフ場の数も半端ではない。
 
   私たちの宿泊先は、ホテルでは世界一高いといわれるマリオット(72 階建て)であったが、周辺のビル群がすべて高い摩天楼・・・。いろいろと“ドバイ”の凄さを伝えようと思ったが、難しい。それに、すべてを知るには、短すぎる滞在だったと思う。
 
   これは、今回の大きな収穫の一つであるが、国であろうと企業であろうと、組織が大きく成長する要因は同じであるということへの再認識である。
 
   たった一人の偉大なトップリーダーの先見力、そしてその構想を実行するため必要な人材育成力だということだ。さらに、もう一つ付け加えるとすると、継続し続けることによって培われるブランド力(安全神話も含めて・・・・)ではないだろうか。
 
   今でも至る所で、砂漠が都市化していっている“ドバイ”を観ていると、その後“ドバイ”はどうなるのだろうと、ふと思った。
 
   これからも、ドバイを見続けてみたいと感じた。(この機会を頂いたことに感謝!)
 

今週の考える言葉「無為自然」

考える言葉

無為自然

   老子の有名な一節である。「道常無爲、而無不爲」(道は常に無為にして、而も為さざる無し)。
 
   「道はいつでも何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為している」という意味であるが、作為がなく、自然のままであること。我を張らずに、自然に生きろということであろう。
 
   高校の頃、中国の古典と言えば、「論語」。その道徳的な価値観に慣れ親しんでいた小生にとって、大学の頃に読んだ書物の中でも、最も不可解な書物の一つが「老子」であったような気がする。それが、いつの頃からか、座右の銘を問われると「“無為自然”です!」応えるようになっていた・・・。
 
   戦後のベビーブームの時代に生まれ育った団塊の世代にとって、人生とはつねに他人との競争社会であった。誰にも負けない努力をして、いい成績を残すこと。そのためには目標設定が大切だと教えられ、育ってきた環境である。最初は、すべてを否定されたような気がして不可解だったが、どこかで共感している自分がいたという感じだ・・・。
 
   「無為、何も為さない?」そうではなく、無為とは「意図や作為がないさま」だという。
 
   それだったら、何となく分かる。ある意味、人間は欲求的な生き物であり、自我的な欲求をつねに持っている。だとすれば、自我的な欲求に支配された有為には、その人の打算が生じることになる。それでは、他人との良好な関係性は期待できない。つまり、何を為しても、事がうまく運ぶことにはならないだろう。
 
   人間は、環境に支えられた生き物である。環境に逆らっては生きていけないともいえよう。その環境と、一体化するには、どうすればいいのか?そう、無為。あるがままで受け入れる勇気が求められるだろう。
 
   「上善如水」(上善は水の如し)という。老子は、最も理想の生き方は水のようなものだという。「水は万物に恩恵を与えながら相手に逆らわず、人の嫌がる低い所へと流れていく・・・」。それこそが、「道」のあり方だという。
 
   “無為自然”を座右の銘にしているといったが、「柔軟、かつ謙虚であれ」という風に受け止めている。
 
   釈尊は、宇宙の真理を「無常と無我」と説いた。変化して止まない環境とその環境との関係性においてしか、すべては存在しえないという真理。老子がいう“無為自然”も同じ真理への悟りではないだろうか。
 
   たくましく、しなやかに、そしておおらかに生きる知恵を学びたいと思う。
 

今週の考える言葉「精進」

考える言葉

精進

   “精進”という言葉は、日常的な仕事の場面でもよく使われている言葉である。
 
   先だっての、IG新春セミナーにおける髙田明氏の講演テーマも『夢を持ち続けて日々精進』とあった・・・。“精進”料理、“精進”明けあるいは“精進”落としなどいうように、仏教に由来する言葉であることは違いない。
 
   気になって調べてみると、語源はサンスクリットの「ビールヤ」という言葉だそうで、「勇敢さ」という意味があるそうだ。修行者は、ひたすら勇敢に努力して励むという、人並みを超えた努力の状況を表現しているのだろう。
 
   小生の学生の頃は、団塊の世代で受験競争の最中だったが、「がり勉」という言葉が流行っていた。そんな中、「努力して結果を出すのは野暮で、努力をしないで結果を出せるのがカッコいい・・・」という風潮も一部にあったが、やはり、きちんと“精進”した者によって栄光の道はつくられたような気がする。
 
   自分の思い描いた人生を送りたいなら、やはり、努力に勝る手段はないと確信をもつようになったのは、次の言葉との出逢いであったような気がする。
 
   「天才とは努力する才能である」(ゲーテ)。
 
   それまで、天才とは生まれつき備わった才能があり、努力しなくても成果を出せる人だと思って、羨ましがっていたが、そうではないと・・・。
 
   努力なしで手に入る「自分のもの」など、存在しない。家庭が裕福で、親の遺産を引き継げるのは、その子の特権であろう。しかし、それを本当に「自分のもの」にしたければ、それを守り続ける努力が必要となるし、棚ぼた的な利益は儚いもので、反って不幸のもとになることがしばしばある。
 
   IG会計グループも来年には35 周年を迎えるが、振り返ってみると、創業期の5 年間は倍々で業績が伸びていった時期であったが、みんなでひたすら努力、“精進”をした時期でもあったのだろう・・・。
 
   “精進”し、懸命に生きていると、それだけで有難いことがある。それは、周囲から信用されて、お客様の紹介を頂戴したり、相談事が増えたりで、仕事が忙しくなることである。だから、一層“精進”する!(良循環のリズムが生じる)
 
   人間はなぜ“精進”をするのか・・・?“精進”をし続けている人を観察し続けていると、その意味が分かってくる。自らの人生に価値ある目的を見出した人は、決まって“精進”し続けているということだ。
 
   また逆も言えよう。一つのことに“精進”し続けることによって、価値ある目的に出逢えるのだともいえる。努力に勝る“精進”をしよう!
 

今週の考える言葉「都会と田舎」

考える言葉

都会と田舎

   もう慣れたはずの東京の雑踏であるが・・・。
 
   最近、長崎を訪ねてきた人の驚嘆の一言であったと思うが、「人って、こんなに少ないのか・・・!?」 その日は平日とはいえ花金で、夜の歓楽街(思案橋・丸山界隈)にくり出したときの話である。
 
   バブル崩壊前の当時、路地裏まで人が溢れ、タクシーが立ち往生していたころからすると、隔世の感がある。夜の街の人気のなさは、若い世代のライフスタイルの変化もあると思うが、人口減少の問題が頭によぎり、この町の10 年後、20 年後はどうなっているのだろうかと、気になった。
 
   そんなことがあった翌週であったが、上京すると人混みの多さに驚かされる。ちょっと立ち止まって周囲を見ることすらままならない人の流れとテンポのはやさ。お昼をとりに外へ出ると、すでに食堂の前には行列ができている。
 
   「人って、こんなに多いのか!?」って、改めて感じさせられた。一極集中ということがいわれ始めて久しいが、“都会と田舎”のバランスをどうやってとっていけるのか大きな課題の一つのような気がする。難題ではあるが・・・。
 
   なぜ、人は都会へ集中するのだろうか?一言でいうと、多様性の魅力であろう。多士済々というか、人材がなにしろ豊富である。それらを活用しようとするとき、留意すべき点が一つある。それは、「類は友を呼ぶ」ということだ。
 
   東京の多様性に惹かれて、田舎の単純ない日々に不満を感じ、漠とした期待を抱きつつ上京する若者たちが多いと聞くが、その多くが都会の雑踏に飲み込まれ、その日暮らしの生活に追われ、無目的になっているという・・・。
 
   一方、田舎の魅力は何といっても自然が豊富であることだ。人工物のない自然の中にいるだけで、人はリフレッシュできるような気がする。それに都会と違ってテンポが緩やかなのだ。ユタっとした気分のなかで一日一日が過ぎていき、呼吸をしている自分を実感できるというか、そんな感じである。
 
   そこで、生活の基盤は田舎に置き、ビジネスは東京でやるというのはどうか?普段は田舎にいて、必要に応じて東京にいく・・・。都合のいい話だが、うまくいかない。はやり、ビジネスとは日常的な、密なコミュニケーションが大事!そこから生まれるアイデアが決め手になるということもあるし、決断実行のスピードも違ってくるのだ。
 
   今、全国的なネットワークの活動をしているが、大きな課題は日頃のコミュニケーションの密度であり、タイミングなのだろうと考えている。
 
  都会と田舎の統合・・・。一つの構想がある。時期を見て、語りたいと思う。
 

今週の考える言葉「キーワード」

考える言葉

キーワード

   鍵になる言葉、“キーワード(key words)”・・・。
 
   ヒントを探す検索の手がかりとなり、特定の問題を解くときの鍵(キー)となる有用な言葉のことである。
 
   先だってのIG新春セミナー(2 月9 日)やJa-BIGの定例会(2 月16~17日)においても講演のなかで触れた内容であるが、ここ数年、「新たな成長戦略を描けないでいる・・・」という経営者の悩みを耳にする機会が多い。
 
   先が見えない、時流の見極めが難しい時代である。そんな中で、新たな成長戦略を描くためには、先ずは「その時代を読み解くための“キーワード”」を探り当てる必要があるだろう。実は、言葉は時代に先行するのである。
 
   パラダイムシフトの時代であるといわれる21 世紀に入って、18 年目になる。やはり、時代の“キーワード”は、「変化」であろう。
 
   「変化」にどう適応するのか・・・?「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」というダーウィンの有名な言葉がある。
 
   そして、ドラッカーに次の名言がある。
 
   「変化をマネジメントする最善の方法は、自ら変化をつくりだすことである」
 
   つまり、イノベーション!これこそが、今日における最も重要視すべき経営課題であろう。自己革新における創造的な破壊・・・、その先にどんな未来があるのか?あるべき姿を鮮明にすることができた企業が、時代をリードするのであろう。
 
   日々、日常業務に追われている人がいかに多いことか・・・。しかし、目の前の現実といくら闘ったとしても、何も変えることはできない。現実を変えたければ、イノベーションするしかない。
 
   自分の目の前で生じている問題だけにとらわれず、より大きな社会的な視点で変化を観察してみよう。例えば、① 人口減少の問題、② グローバル化の問題、③ 情報化(ITやAIなど)の問題・・・。
 
   それらが引き起こす時代環境の変化に対して、自らの貢献(ミッション)を見出してみよう。それによって自らのあるべき姿が浮かび上がってくるのではないだろうか?すでに、時代の潮流を見切って、先駆的な役割を担っている個人や企業を知っている。その人たちを見習うのも良いと思う。
 
   私たちが提唱している未来会計サービスとは、まさに自らの手で未来を創る「選択と計画」の経営的思考であり、その手法である。
 

今週の考える言葉「天職」

考える言葉

天職

   「自分の”天職”って何だろう?」と、考えた時期が幾度となくある・・・。
 
   小さい頃は、学校の図書館で多くの伝記を読んでは、その人のようになりたいと心が膨らみ、憧れたことを思い出す。小中の頃は、プロ・スポーツ選手の活躍に憧れていたし、高校の頃は、父の職業である司法界の道も考えたことがある。
 
   大学の頃は就職の選択を迫られ、迷いの時期であった・・・。その頃、ある人との出逢いがあって、会計人としての職業を知り、その道を選択し、今がある。しかしそのとき、この道が”天職”だと思って、選んだのかというと必ずしもそうでもない。
 
   幸いなことに、この業界には、素晴らしい業績を残された多士済々の諸先輩方がおられるし、また身近にも”天職”と思えるようなセンスのいい仕事ぶりをしている同業者がたくさんいるおかげで、向上心を高め続けることができたと思う。
 
   なぜ、同じ職業でありながら、差が生じるのか・・・?「自分の”天職”とは何だろうか?」と折にふれては考えていたような気がする。
 
   そんな時、出逢ったのが、本田宗一郎氏(ホンダの創業者、1991年に逝去)の感動的な辞世の言葉、「人生を楽しませてくれて有難う!」である。氏には、「世界一の車をつくろう」という夢・志があった。
 
   そして、その実現のために、一日一日、その瞬間を無我夢中に生きたのだと思う。人より多くの苦労やリスクを背負って生きたに違いない。でも、楽しかったはずだ。だからこそ、悔いのない人生、”天職”を全うできたのだ、と直感できた。
 
   私たちは誰もが、潜在的な価値をもって生まれ、それを追求し、自己実現して、世の中に貢献するために生きているのだと思う。つまり、「何のために」という人生の目的を自らの問うことから、”天職”の道を歩み始めるのではないだろうか。
 
   “天職”を見つけるといっても、それは必ずしも転職を意味するのではない。今出逢っている仕事にもっと打ち込んで、尽くしていると、自分の強みに気づかされる瞬間が必ずくる。どんな状況でも、受け身では何も生まれない。主体的に生きることだ・・・。
 
   ピーター・ドラッカーの「5つの質問」を自分自身への問いとして受け止め、自らに問うてみるのも面白いと思う。
 
   自分の人生に、もっと大きな意味を見つけるためには、本田宗一郎氏のように大きな夢・志を掲げるところからはじめよう。変化へ挑戦する勇気、それを乗り越えるための弛みない努力、そこから生まれる信念こそが、”天職”を見出すのであろう。
 
   やはり、「人生は心一つの置き所」である。苦労やリスクを楽しかったといえるような一日一日にしたい。その先に、”天職”への機会が生まれると思う。
 

今週の考える言葉「言い訳」

考える言葉

言い訳

   職場等でよく見かける風景であるが・・・。
 
   上司あるいは他の人から注意を受けたとき、私たちはどんな対応をするだろうか?概ね、次の二通りのタイプにわけることができよう。
 
   一つは、「すみません!」と素直に謝るタイプ。もう一つは、とっさに“言い訳”に走るタイプである。ただ、「すみません」の一言がいえる人と、“言い訳”に走る人とでは、人生の質が全然違ってくるので注意をしたほうがいい。
 
   もちろん、“言い訳”タイプは要注意だ!また、“言い訳”に走るという行為は習慣のような気がする。だから、“言い訳”タイプは、注意を受けた瞬間から“言い訳”が口をついて出てしまうことが多いようだ。
 
   では、“言い訳”は、なぜ要注意なのだろうか?
 
   第一の理由は、“言い訳”は成長の阻害要因となるからだ。なぜなら、失敗やミスの原因を考えずに、一生懸命に自己弁護に走る、あるいは他人のせいにしてしまうこともある。つまり、そういう人は自らの失敗から学べない人であり、ゆえに成長の機会を失ってしまうからだ。
 
   第二の理由は、親切心で注意してくれた人の感情を逆なでし、敵にまわしてしまう恐れがあるからだ。(誰だって好き好んで、人が嫌がることをいう人はいない。それなりの配慮をしているはずだ)
 
   このように、「すみません」の一言がいえる人と、“言い訳”が習慣になっている人とでは、人生の質を変えてしまう。
 
   失敗にも様々な原因があり、また失敗のレベルがある。例えば、「猿も木から落ちる」という諺のごとく、ちょっとした油断や慢心から生じるような失敗・・・(本田宗一郎さんは、この諺が嫌いだったそうだが)、レベルの低い失敗をしたときのほうが、どちらかというと、“言い訳”に走ることが多いような気がする。
 
   このように考えてみると、“言い訳”が習慣となっている人というのは、日常性においてぬるま湯に浸かったような生活をしている人ではないだろうか。すなわち、“言い訳”とは緊張感のない、怠惰な習慣がベースにあって生じる失敗、そのカムフラージュになっていないだろうか・・・?
 
   “言い訳”をせず、「すみません」といえる勇気を持とう。その一言から、真の反省が生まれ、失敗に対する様々な気づきが生まれる。つまり、自らを変えるチャンスが到来するのである。
 
   素直さ、感謝などを心掛け、“言い訳”の罠から脱却したいと思う。
 

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